目標達成は簡単そうだからではなく、難しいからこそ追求しよう! 大失敗を恐れない者だけが、偉大な事を成し遂げる。

2015年3月31日火曜日

今ならオタクというのかな

昔々、まだまだパソコンもビデオゲームもなかった無邪気な時に、幼いロルちゃんとその友達の大半は共通の趣味を持っていた、切手の収集。アルバムを買って、必須のカタログ(価値を明記している図鑑)も調達し、分厚い袋に入っている各国の安い切手を両親又は親戚から貰ってスタート。



ああ、静かな趣味だったなぁ。あちこちからウイーウイーの音もしない、ピカピカとランプも点滅しないで、みんながこそこそと色んな作業に取り掛かって、自分の趣味の対象物を益々完璧にしようとしていた。しかしなぜか、女の子達はそれに全然参加してはいなかったなあ。なぜだろう、なぜかしら。つまらないと思っていたんだろうか。まぁ、お爺さんが朝から晩まで切手を弄って、あちこち色々と整理し、この切手をあちらへ、あの切手をそちらへと移したりしているのを見たらきっとせこいとか鬱陶しいとかと思っていたかもしれない。
1995年版の図鑑、切手のカタログ

でも実はこれは大きな偏見だ。一つを最初から言おう。僕はもう20年ぐらい切手を集めていない。90年代半ば頃、僕は自分のコレクションを収集の仲間に売った。良かった・・・、あの時に売らなければ今だったら多分誰も買ってくれないだろうから。いや、それでも、切手を集めることには色んな観点も側面もある。良いのも悪いのも。ちょっと照らしてみよう。
  1. 入手。自分の両親か親戚の気前が良くて、よっぽどお金持ちでなければ、最初の入手は困難。切手の専門店に行ったら高くつくから、最初はデパートに行けば良い。デパートには「世界各国250枚を1000円で」とか様なパッケージ、一切価値のない切手の入っている袋はいくらでも手に入るが、交換の相手になって欲しい人の誰もがそれらに興味がないから、見ることだけの役割しか果たせない。換言すれば、交換相手が欲しそうな切手は先ずは自分も欲しいので、2枚をどうにか調達しなくてはいけない。言うまでもなく、これはお金を使わないで済まない。つまり切手を収集する上で、「切手の友の会」で相手と交換する為にはお金が必要。じゃぁ、とある人は言うかもしれない、「お金をどうせ費やさないといけないのなら、交換するんじゃなくて、最初から欲しい切手を買った方がいいんじゃいない?」と。そう、最終的にこうなる。そして本格的にやろうと思ったらかなりお金が掛かる。
  2. 切手は凄い勉強になる。今はインタネットやWikipediaがあるから、ランダムに検索をしたらいくらでも情報が手に入るが、昔は記念切手の発行によって、ある出来事、ある人物、ある発明等々を知ることが出来た。ベートーベンの誕生二百周年記念、トーマス・マンが亡くなって50周年記念、相対性理論が発表された日の75周年記念とか。発行の度にそれらの記念に関して独自的に研究すれば、必ず知識の増加に至る。というか、前より馬鹿なままにはならない、絶対勉強になる。
    1972年にミュンヘン(夏季)や札幌(冬季)で行われたオリンピック記念切手
  3. ドイツの切手の収集によってあと歴史についての知識も増える。それに、歴史は昔にあった出来事であるだけではなく、歴史は未だに、実に本日までに続いているということすら人が閃く。ドイツ人だからこう言っている訳ではないが、切手の発明以来(1835年頃)、ドイツより国の歴史が何回何回か激しく変わった国は他にないかもしれない。最初、まだ帝国が組んでいなかった時に何十箇所発行の切手があった(ブレーメン、バーデン、バイエルン等々)。1871年に帝国が出来た時に「ドイツ帝国」という切手が出来たが、平行に各地域の切手の発行がなぜか続いていた。あと、植民地をいっぱい手に入れた19世紀の終わり頃には、各植民地の切手はドイツの管轄化にまた別にできた。1919年の第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約でドイツの植民地は全部没収された時にも、数年後のハイパーインフレの時にも数多くの、その歴史的な変更を表している切手が発行された。特にハイパーインフレーの時(1923年)は面白い。当時の一番高い、切手に明記されていた郵送料はなんと500億マルクだった!その数年後、ヒトラー政権、第二次世界大戦、占領軍時代、ドイツが西と東に分けられて、40年間違う機構に属しており、1990年に再統一するまでの激しい展開はみんな切手に反映されている。それで勉強できない人は可愛そう・・・。
  4. 切手を収集する友の会は昔いっぱいあったが、今はどうかな。他の事と一緒に無くなりつつあるのではないかと思われる。それで嘆く人がいれば、反抗し、昔の状況を復帰してみればよい。僕は残念ながらもうとっくに違う事に携わっている、ブログの執筆とか・・・(笑)。ただ、ああいう友の会では、同じ趣味を持っている人達が集まっていたから、楽しくて、暖かい気持ちにさらされることもあった覚えがある。定期的に行われる展示会とか、他の友の会との集いで切手の他に経験の交換、査定とかも出来、新しい人に知り合うチャンスもあった。
  5. あまり面白くない反面は値打ちのこと。価値、相場はあくまでも人間によって決められている。市場は人間で構成されている。市場には人間が消えれば、需要が減少し、供給は恐らく増える(もう要らない物を売りたいから)。市場経済の原則なんだが、そんな時に必然的に価値が下がる。今は正にこんなことは切手の世界でも真剣に起きていると思う。それに、金なら、戦争が起きても、金は金で価値が残る。しかしいざとなると切手は、挙句の果て、単なる紙くずに過ぎない。「親切手家」の僕はこんなことを言ったら切手に悪いかもしれないが、事実はこうなんだ。
  6. 20年ほど切手に携わっていない僕は最新の動きをあまり観察していないが、見えている微々たる部分は気になることが色々とある。最近の切手は自己粘着性だし、あと歯がない。ドイツ統一や郵便の民営化によって、今現在切手を発行するのが郵政庁ではなく、実はドイツの大蔵省だ。でも販売するのが依然として郵便局・・・(僕もよく理解できない、この制度)。とにかく、昔の様なロマンチックな感覚はこれで全く無くなった。切手は単なる品物になった、歴史の反映物ではなくて。だけど、だからと言って昔の思い出はこの政策で傷つけられた訳まではいかないが・・・
この記事は「切手収集」の奨励文のつもりではないが、人生にはこういった側面もあるよね、と言いたかった。

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3 件のコメント:

  1. ドイツの古い切手は興味深い。歴史を感じることができそうで。日本の古い切手は、ドイツほどの楽しさはないかもしれない。
    日本でも昔は切手を集める人がいたが(僕も子供の頃集めていた)、郵政民営化後に、やけに商業主義的になってきていて、アニメや漫画のキャラクターの切手を乱発し、切手の額面以上の値段で売っている。非常に興ざめだ。今でも新しい切手を買う人はいるのだろうか?

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  2. 懐古主義の僕は切手収集が好きです。外国の切手を集めてます。ドイツの切手欲しいなあ。

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  3. 私の母も、切手をいろいろ集めていましたよ。女性が高確率で嫌うコレクションは、昆虫の標本かな...
    ドイツの郵便局のマークは、お肉屋さんのラッパでしたよね、確か。お肉屋さんは地位が高かったとか(日本では江戸時代以降、「動物を殺す」仕事ということで、仏教に背くので、逆にひどい差別対象に)。
    日本のは、逓信省の読み、「テ」を記号にしたものです。信書自体は飛脚その他はるか昔から日本列島にもあったけど、郵便制度は明治時代に欧州から教えて貰ったものだからなぁ...

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