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2015年10月5日月曜日

沈没寸前? 沈黙の螺旋

毎日連絡を取り合うから分かるが、ドイツの現在の状況は日本のマスコミで大幅に報道されている様だ。だが、今日は意外な事を教えられた。日本のテレビ局がドイツで調査を行い、街角ですれ違っている人に意見を聞いたみたい。そこで案外、(侵略者とも呼ばれる)難民の大流入に対して心配を抱えている人達は大半だったそうだ。


へ~?そうなの?ドイツのテレビではそれは殆ど放送されない。日本のテレビ局の取材で、ドイツで放送されないから、みんなが正直に吐き出せただけなのかな。ドイツでテレビに出ている人、バイエルン州の政治家以外は誰一人も反対の意見を公表しない。

そう言えば、忘れない内に、これもあった。うちの村で毎週日曜日に無料に配られる回覧板にはその編集部が今週行ったアンケート調査の結果が乗っていた。質問は「うちの町は難民大流入で起きるあらゆる問題を乗り越えられると思うか?」という事だった。結果は90.7%は「いいえ」と答えた。僕はそれを読んだら、なるほどね、常識は意外とまだまだ残っている、この国には。

それでももう一回。俳優、歌手、司会者、画家、タレント、等々等々、テレビでもラジオでも、誰一人も難民反対の意見を出しているの聞いたことがない。みんな怖がっているんだろうか。反対の意見を出したらもう仕事を貰えなくなり、人気が減るのを恐れているのでは。

沈黙の螺旋はこう想像できるかな
いずれにせよ、こうやって「公の意見」ばかりがメディアに出ていたら、それは主流の意見だと群衆に思い込まれ、誰もが自分が本当に考えている事を言う勇気が無くなっちゃう。ドイツの有力なアンケート調査インスティチュートの創立者はこの事柄に関して40年前に「沈黙の螺旋」という表現を作った。ある事情についての意見を人間が最初に出してみてみるが、周り多くの人は反対の意見を持っているのに気づくようになったら、ドンドンドンドン言わなくなり、最終的に完全に言えずに終わってしまい、沈黙に陥る。

先程読んだページで実は今少し苛々している。ある意味、いい意味で苛々いしている。シュピーゲルの次に有力な政治マガジン「フォークス」のウェブサイトには、僕がこの間の記事で描いた「ドイツ人の追い出しが開始」に関してのフォーラムを見つけた。シュピーゲルは中より左、フォークスは中より右だ思われているからかが分からないが、僕がこのフォークスで読んだ範囲では、みんなが物凄く怒っているというのを習った。「今度は右翼に入れるぞ」、「ドイツ人を追い出し、難民を入れるなんて悪夢よりひどい話だ」、「メルケルの即時更迭を図ろう」とか様な意見ばかりだった、例外無し。僕はそれを読んで、少し心強くなった。自分だけでなく、他に懸念している人もいっぱいいるんだね、とのこと。よかったぁ・・・・・・・・・・・・・

今日は週の始まりで忙しくて慌てて書いているが、約束の通りなるべく毎日少しずつ付け加える。ネタはまだまだいっぱい残っているから、ご期待ください。




7 件のコメント:

  1. ノーベル平和賞の候補にメルケル首相があがってるそうで。日本からも九条の会があがってますけど。
    http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151002/k10010255561000.html

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  2.  とても難しい問題ですね。

     ドイツは、非常に歪んだ状況に置かれているようです。
     難民というのは、volunteerやcharityで受け入れられるべきものではありません。
     彼らは、先進国に文化的に融合することはありません。
     そのへんが、難民受け入れ肯定派が思い違いをしがちな点です。

     ロルちゃんは、muslimの人たちの女性蔑視や文化的融合を拒絶する態度に憤りを感じていらっしゃるようですが、それは間違っています。

     自分の育ってきた文化を捨てて迎合するということは、人間にとって耐え難い苦痛ですし、難民や移民の方にそれを要求するのは、最初から無理なことです。
     それは(どちらかというとamerica的な)先進国の驕りであって、後進国から来た難民や移民の方に要求すべきことではありません。

     彼らを受け入れるのであれば、彼らが生活様式や文化、考え方を堅持していくことは、あらかじめ覚悟をしておかなければいけないことでした。
     そうしていれば、後になってから女性蔑視の発言で呆然としてしまった、なんてことはなかったはずです。
     それはmuslimの方々の努力の欠如から生まれた事件ではなく、ドイツ人の想像力の欠如から生まれた現象です。
     それは厳しいことを言い過ぎですが、少なくともドイツの政治家の方々は、難民を受け入れる前に警鐘を鳴らすべきでした。

     難民を受け入れるということは、異文化を受け入れ吸収するということで、そのことには国民の強い自覚に基づいた覚悟が必要です。
     その重大なプロセスを省略したがために、90.7%の「いいえ」は生じたのでしょう。
     厳しいことを言えば、今ある惨状はその代償です。

     日本でも、今難民の受け入れが囁かれています。
     日本もまた、ドイツと同じように、精神的には未熟かつ幼稚な国なので、ドイツの二の舞にならぬよう、祈るばかりです。

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  3. 「平和主義者の友人と話すと、僕は共感させられることが多い。だが、話すたびに戦争の廃絶について絶望させられる。というのも、彼らの平和主義は決まって好戦的なのである」というようなことをLiddell Hart氏は言っていたようですね。
    同じことを感じることが最近とみに多いです。

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  4. ドイツのことわざで「馬鹿は犯罪だ」と言う言葉があると、とある本で読んだ気がする。
    日本の元首相のような「お花畑」は、国を亡ぼす。と思う。

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  5. 「沈黙の螺旋」という言葉がとても気に入りました。ところで、螺旋というと、掲載の写真のように、上から下へ吸い込まれるようなイメージが強いのはなぜかしら。下から上だと意見の先鋭化を表しているように感じます。そうすると、ファシズムを想像させるので、よくないか。
    ドイツ語で「沈黙の螺旋」は何というのかな❓

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  6. ドイツでは、メディアが乗っ取られて、お金をもらって報道操作をしている疑いがある。
    1. 中国で商売をしたいドイツ産業(自動車企業など)による中国びいき、日本たたき
    2. ドイツや欧州の影響力を減らしたいユダヤ系アメリカ人によるドイツ、欧州への移民促進

    さらに、左翼政治家・官僚、人権運動家による 多文化主義推進 が存在するように見える。

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  7. 郷に入りては郷に従え、って日本のことわざがあるじゃないですか。風俗や習慣はその土地によって違うから、新しい土地に来たら、その土地の風俗や習慣に従うべきだということ。また、ある組織に属したときは、その組織の規律に従うべきだ、と。日本人としてはこれが普通の感覚なんですよね。
    私も関東から九州に引っ越して来ましたが、言葉は無理でも習慣や風習はこちらのものを大事にしようと思うわけで。地元と違って地域や近所のつながりが深かったり、お盆の時期が違ったり、醤油やら味噌やら出汁やらの味が違ったり、まあ色々です。でも、望んで引っ越してきたのだからこちらが合わせるのが普通でしょうし、周りと上手くやるには必要なことですし、自分の生きてきた風習や習慣なんて変えられるんだなーと。ま、日本人は特に「周りの環境に順応する」のが得意な民族らしいですが(笑)

    長くなりましたが、移民や難民として受け入れてもらって社会保障を受けながら生活してる外国人はその属する国の文化風習習慣に合わせて然るべきでしょう。宗教は自由ですが、自分の国にいるわけではないのだから全てが元のように行くと思う方がおかしいと私は思いますね。

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