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2014年7月4日金曜日

「舞姫」に挑戦



先日森鴎外の「舞姫」に挑戦しようと思った。キンドルには舞姫の電子書籍があるので、内臓国語辞典から得る協力でこの古い文章を理解するのにどうにかなると思っていたが、最初の行、その次の行も、その後もな~にも上手く理解できないので、5分経たない内に諦めた。日本の高校生達があの文章を
読まされるそうだ。僕は彼らをそこで羨ましく思わないが、日本文化の素晴らしさを分かる為に、舞姫は一つの典型的な例になり得るだろう


僕は、日本語をマスターするつもりだが、森鴎外の舞姫みたいに現代日本語から離れている文章には、正直言って、時間を使いたくない。使うなら、実に老後だね。今は実務的に、日常生活に使える日本語を重視したい・・・




*** 記事外の解説。
「今日の一言」シリーズでは、ある(長く説明したがりそうな)事情をほぼ電報的に必ず200字に収めることができるかどうかを実験的に試すことになっています。上記の文章もちょうどそうなりました(w)。それでは、また明日~(200字でね) ***
 


4 件のコメント:

  1. ええー!原文で読もうとしたんですか?
    あれは古文の時間に文法を習うから読めるんです。
    万葉集とか枕草子とか奥の細道とかも古文の時間に文法を習いつつ内容も一緒に勉強するんです。
    古文は現代語より複雑ですから、読むのなら現代語訳をおすすめします。
    学校を卒業しちゃえば文法なんかすぐ忘れるので最初から最後まで原文で読む人はたぶん日本文学や日本史を専攻した大学生ぐらいじゃないかな。

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  2. >森鴎外の舞姫みたいに現代日本語から離れている文章~
    ロルちゃん、森鴎外が日本文学に於いて危惧していた事はまさにそれですよ。
    明治は日本語、特に書き言葉に於いての転換期(自分的には迷走期だと思ってるけど)で、この時期の作家は文語体の作品と口語体の作品が混在してることが多いのです。試行錯誤してたんですね。
    その中で鴎外は、口語(話し言葉)は、時代や環境etcによって常に変遷していくものである以上、文語(書き言葉)は不変であり普遍でなければならない、口語から文語に組み込まれる言葉はでてくるだろうが、文語を全て口語に置き換えてしまうのは(文章にして残していくという概念から考えると)本末転倒であり日本語は滅びてしまうのではないか。というようなことを言っています。そして現代そのとおりになってしまいましたね。明治~昭和初期の人は現代語訳などなくても平安の作品を読めたのに現代人は現代語訳がないとほとんど読めない意味がわからない。日本文学が明治あたりを境に分断されてしまいました。たった100年前の作品も訳がないとわからないのです。ドイツ文学では100年前の作品に注釈などは別として現代語訳なんか必要でしょうか?
    しかし必ずしも言文一致が悪であるかというと決してそういうわけでもないのです。
    鴎外と同時期の作家の二葉亭四迷は、恥ずかしながら自分は文語体の文章が書けないから口語体の文章を書くようになった。と白状してます。文語体は当時の人でも書くのが難しく、一定の教養が必要だったようで、二葉亭四迷は和文も漢文ももっと勉強しようかなとも言っています。言文一致にすることでこれまで文語が難しくて書きたくても書けなかった作家が作品を発表できる機会を得たり、作家の文体の選択肢、表現方法が広がったのは間違いないでしょう。
    漱石はこの論争の後の作品が多いので口語体の作品が多いですし、現代人にも読みやすい。
    文壇に於いて口語体が普及していくにつれて福沢諭吉や鴎外も文語体→口語体に作風が変遷していくので
    文語体の舞姫が難しくて読めなくても、口語体の高瀬舟や雁、青年などの後期作品は読めると思います。(漢字や表記が難しいのは旧仮名遣いの問題なので文体とはまた別の話、新仮名遣いverを買えば多少は読みやすくなるでしょう。)
    ただ舞姫は「石炭を早くも積み終わった」よりもやっぱり「石炭をば早積み果てつ」で読んで欲しいですね。

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    1. 長文過ぎましたね。すいません。
      あと、既に知っているかもしれないけど、
      青空文庫
      http://www.aozora.gr.jp/index.html
      明治~昭和初期の作品はここで読めます。注釈はないのであしからずーですが。

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  3. へぇー、ゆきさんは、古文・・と、言うより日本語の変遷に詳しいですね。
    尊敬!!
    若い頃、文学なんて何の力も持っていない価値の無いものだと信じていた自分は、人生の大切な時期をゴミ箱に捨ててきたような気がしますよ。言葉って大切ですよね。命が宿っている。 今日本人が使っている当用漢字も占領政策によって使用が許可されたという歴史があるようですし、今の日本語は、占領政策日本語なんだな~。

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