目標達成は簡単そうだからではなく、難しいからこそ追求しよう! 大失敗を恐れない者だけが、偉大な事を成し遂げる。

2012年10月4日木曜日

あともう少しで・・・

最近なぜ新しいブログを投稿していないのかと不思議に思っている方々へ:

簡単に言えば:ちょっと忙しすぎるからだという事です。

もう少し裏付ければ:あともう少しでまた日本に行ってきま~す(一時帰国です(笑))。
言い換えれば、その準備で今自分の自由時間が結構拘束されているからです。

初めて日本に行って来て以来、ヨーロッパ・日本往復するのがそれでもう21回目となります。
そういう背景を考慮したら、日本に行って来るのが僕にとって実に遠足みたいに過ぎなくなった。
フランクフルトで飛行機に乗ってから、寝て、食べて、映画を観て、本を読んで、音楽を聴いて、食べて、ボーっとしてまた食べてから、12時間でもう日本です。飛行機代も25年前と全く変わらないし。



1985年はまだ冷戦時代だったから、ロシア上空を飛んでもいい航空会社は大体、訳の分からなくて、信用の出来ないアエロフロート航空(モスクワ経由で)とかに限られていたから、選択肢としては「北のルート」又は「南のルート」しかなかった。「北のルート」は何かというと、ヨーロッパから出発し、アラスカのアンカレージ経由してから、直接日本に行くか、韓国のソウル経由してから日本に行くということだった(アンカレージから直接日本に行く日本の航空会社の運賃の方が高かったから、大韓航空を使うのが多かった・・・)。待ち合わせ時間を入れて、それで大体18時間ぐらい掛かっていた。南のルートはもっと凄かった。僕は、1985年の一回目も1986年の二回目もその南のルートを使っていた。世界最高のサービスで知られているシンガポール航空で、(ケルン)、アムステルダム、カイロ、バンコク、香港、台北、東京とういう、24時間も掛かる迷路でやっと日本に着いた。まあ、行きはシンガポールも香港も一泊ずつしていたから、そんなに苦痛に思わなかったけど、帰りはどこも泊まらないであのルートで行ったから、結構くたびれていた・・・。まあ、今直接行ける様になって良かったなあと思っています。

それに、スカイプも使えば、無料(!)でテレビ電話が出来る様になった。相手が見えて、ナマで普通に話が出来る。僕のちっちゃいころにはこういった様なのをSF映画でしか考えられなかった。80年代の終わりころ、僕は日本に住んでいた時に、ドイツに電話するのに、1分は300円も掛かった事と比べれば、なんて革命的な変化が「最近」(ここ20年)起きたかが、もっと若い人にも通じるのではないかと思います。

いやああ、本当に素晴らしい時代になったなあと常々思っています。

21回目でも、日本に行ってくるというのは毎年のハイライトである、未だに。非常に、非常に楽しみにしています。(2日にいっぺん回転寿司屋に行くぞ・・・)

ま、行く前にユーチューブのビデオの枠内で上記の関連でまた少し別の話もするかもしれないので、宜しければ、ご覧になってください。よろしくお願いします!



4 件のコメント:

  1. ロルちゃん、日本にいらっしゃいませ。
    今回は日本で何をする予定なのでしょう・・・
    ご報告楽しみにしていますー。

    よかったら横浜きてね!

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  2. 寿司好きなんですね・・・w

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  3. 国籍関係なく、常識のない方というのは存在しますし、○○人は〜〜、という言い方は好きではありませんが、日本人は無形のサービスというものに対し、コストが発生するという意識が薄い印象があります。結果、サービス残業などというものも未だに無くならないのでしょう。

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  4. 納豆と漬物を食べてる時が日本人に生まれて良かったと思える瞬間である。
    なのでそれも食べてね♪

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